創業者精神

企業理念 創業者精神

誰の会社でもない

ねじ商社創業
「第一ボールト株式会社」設立に際しては姫路、大阪の仕入れ先様をはじめ東京、名古屋の得意先様の方々に出資を依頼した。順調な事業の推移から 「人にお金をだしてもらっても大丈夫。配当もできそうだ」と確信したからである。多くの人の世話になった。一度決めたことは頑としてやり抜くのも 良三の性格である。実際、第1期の株主配当が3割、第2期も3割、第4期は4割である。三年で10割はすごい。

社名に関しても「みんなに助けてもらって出来た会社だ。誰の会社でもない。誰でも社長になれる。全社員が重役になれる会社である」とし、小林の名前を 使わず、"第一ボールト"とした。もう一つのこだわりは、「ボルト」ではなく「ボールト」である。英語では"bolt"発音記号は"[boult]"、明治初期ねじが輸入 された頃、外国人の発音は[ボート]であったという。古い文献や資料を見ると表記は確かにボールトとなっている。



良三の下(もと)で

ねじ商社社員
創業した店の隣地に新社屋(本社及び倉庫)が竣工したのは昭和三十九年三月、良三が独立してわずか6年半のことである。現存はしていないが、 4階建ての立派な建物であった。その時の社員数24名、良三の誠実な人柄、真面目さ、ついていった社員の頑張りが目に見えるようだ。 ねじの世界ではメーカーと卸(商社)は両輪である。商社同士にしても、競争相手にしても協力していく部分は多々ある。

そして、四十二年十月、来賓14名を迎えて開催した記念披露宴(当時全社員数36名)で、良三は10年間常に真面目を信条とし、信義を重んじて 努力を重ねたこと、そして「堅実経営」を実践することが出来たことを報告し、偏に皆様のおかげであると謝意を述べている。



ねじ商社本社

この頃の社員の中には定年まで第一ボールトで勤めあげた人が何人かいる。当時、いわば「ひよっこ」であった彼らが、良三に手取り足取り「ねじ」 という物を教わりながら、いやそれ以前に、ものの大切さ、礼儀、相手先との接し方、人としての生き方までも教わったかも知れない。とにかく良三の 背中を見て成長していくわけである。四十年代に入ってからのねじ業界は今までにない大きな変革期を迎える。ねじの市場も他の商品と同じく、創世し、 成長し、成熟したあとの低迷を軽軽するのだが、そこに、世界情勢など、いくつもの要因が加わり大きく業界を揺り動かしていく。その中で、流通を 担う商社は色々策を練り独自性を発揮していくことになるのだ。